山田言

思いのままに綴ります。はい。

空っぽな、それはとても、空っぽな

私です。

私は言うなれば空虚な筒になってしまった。

 

それはただ、ただひたすらに私の心を貪りつくす。停滞と暇の怪物が、饒舌に、且つ雄弁に己の存在を語る頃に気付いたのだが、もはや手の施しようもない所まで来ていた。

 

惰性の欲望など、何の意味も持たない。苛烈に、鮮烈に、ただ我武者羅に求める欲望が、人間にとって最も大切なものである。

そこにとどまりたいがための欲望は、あってないようなものなのだ。私が真に必要なのは、革新の欲なのだ。

 

しかし、それでも私は、惰性の欲望に対抗する術をもはや失くしてしまった。

新しいものを求めない限り、人は衰退していく一方だと知って、なお。私は過去へ飛ぶ事しかできなくなってしまった。

 

私は芸術家であると同時に、芸術品でありたい。人々の心に傷跡を残して去りたい。

だが今となればそれも無理かもしれない。牙を、爪をもがれ、放り出された哀れな獣など、自然は生かしてくれやしないのだ。

それでは。

好き勝手

私です。

実験好きの性格が高じて色々なものに手を出す癖がついている。

個人的にはいいことだと思う。

 

さて、題名と書き出しで察した方もいるだろうが、今回は実験をする。

はてなブログの機能を手あたり次第試してみる、と言う事だ。正に好き勝手。

 

先ずはこれ。

太字。

おお、本当に太字だ。面白いくらいの太字だ。—と、今回はこのような妙なテンションでやっていく。

新しい事を発見するのは本当に楽しい事(私にとっては)なので、勘弁してほしい。

 

次。

syatai。…成程、英字しかできないのか。次。

打消。おお、本当にできた。様々なときに使えそうだ。

アンダーライン。汎用性は高そうだ。

文字の大きさと色は飛ばすことにする。キリがないので。

色々使って妙な事をしていきたいと思うので、どうか生暖かく見守ってほしい。

それでは。

悪徳

私です。

今回の内容はタイトル通り、悪徳についてのお話。

 

「悪徳」と一口に言っても定義によってそれは変わる。

一応調べてはみたが、『道義に外れた言行』の事であるらしい。成程、悪徳商人などと言う言葉があるわけだ。

 

だが、言いたいのはそんな事ではない。決して無意味に振りかざし、知識を自慢したいわけではない。

 

私が言いたいのは「『欲』は悪徳と為り得るか?」の話である。私は欲はあらゆる行動の原動力だと思っているが故に、ソレは違うと思っている。

 

そもそも、欲が道義に外れたモノであるならば、我々はここまで発展していなかったはずである。

 

我々ヒトは欲によって進化し、欲によって発展してきた。欲によって周りの環境を作り変えてきた。

 

勿論多大なリスクもあろう。ただ、それは全てに言えることである。刃物は便利だが傷を作る原因にもなるように。

 

大きな力であればあるほど、それを動かす時のリスクが高くなる。欲は悪徳ではなく、猛る獣のような力強さを秘めた、我々の心を動かすものである…と、私は思う。

それでは。

思い

私です。

最近楽しいことの多さに目が回りそうになる。

 

出来るなら私の最期も「そう」であって欲しい、と願っている。「幸せの絶頂で死ぬ」事以上に幸福な死などあろうか。

 

まぁ、性格ニヤヤ難アリ、な私であるから、そういっ幸せな死に様など出来ないだろう。

精々ベッドの上で綺麗に死ぬ程度であろう。それも私には贅沢過ぎるほどに幸せではあるのだが。

 

特に気が滅入っている訳でもない、むしろ幸福な気分になると言うのは久しぶりだ。

このまま、せめて一週間は終わらせたいが、きっと其れも叶わぬ願いだろう。

 

私の抱く願いなど、その程度の力しかないのだ。

それでは。

つれづれなるままに

私です。

外は雨。気の利いたことを書いてみたいが、結局何も思いつかない。

 

特別波乱万丈の人生を送って来た、と言う訳でもないので、毎日平和でつまらない。

死地に飛び込むだけの決意が無い、と言うのも一役買っていると言えようが。

 

とにかくここのところ感情に起伏が出ないのである。外に出していないだけだが、外に出す機会もなく、ただ過ごしているばかりである。

 

だからと言ってこの状況に甘んじたくはない。刺激が無ければ生きていけない人種であるから。それに保守と停滞は違うのだ。赤の女王も言っていたように、その場にとどまり続けたいなら全力で走らなければならない。

前進あるのみである。

 

それでは。

原動力

私です。

モノを行う原動力。その最たるものが「欲望」である、と私は思っている。

 

勿論、理由はある。長年の間考えて考えて、それでたどりついた答えであるのだが、私の体験に因るところも大きいだろう。

 

元来、私は面倒臭がりであるのだが、唯一、モノスゴイやる気を出して取り組むモノが一つあった。何かと言えば、「読書」だ。

幼い頃から本に慣れ親しんだ(恐らくは親の影響もあるが、自分の意思で読んでいた)私は、『活字中毒』と言える程度には文学、否、文字が好きだった。

とりわけ物語にのめり込む、と言う行動を通して、決して現実では起こり得ないであろう体験をしたかのような錯覚に陥るのが好きなのだが、やはり物語であるため、「物足りなさ」が生じる。

 

「ここにこういうキャラクターが居れば…」とか、「私ならここはこうするのに…」と言った物足りなさである。言い換えれば、物語に対しての欲望。

思えばそれが、私が絵を、そして創作活動(と言えるかどうかは分からないが)を始めるきっかけだったのだ。

 

欲望は行動を起こし、行動は結果を齎す。何をするにも大なり小なり欲望があり、逆に欲望があれば理由などはどうでもいいのだ。

 

実はこれが私が「三」を信仰し、他の宗教に興味を持たない理由だったりする。

「三」は多面性を象徴するモノ(決して物でも者でもない)であるから。

 

それでは。

趣味

私です。

 最近趣味について苦悩する。私の趣味は主に絵を描く、詩を書く、歌う事だが、楽しいからこそ苦悩するのだ。

 

向上心があるのはいい。しかし報われぬ向上心ならば、それはただ辛いだけ。

向上心だけで学び方も描き方も知らないので、終には筆を折ろうかとさえ思うようになってきた。

その上なぜか承認欲求まであるのでたちが悪い。始末に困る。「見てくれなきゃ嫌だ」とイルカは脳内で飛び跳ねる。

 

詩や歌は(本心かどうかはサッパリ分からないが)認められたことはあるので多少の自信はあるのだが、どうも絵はいくら褒められようとソレを言葉のままに受け取れない。

 

しかも最近はモチベーションが低下してきた。絵を描く気すら起きなくなってきている。

ある種の心の病ではなかろうか——とはいえ、原因は紛れもなく私なのだから、しっかりしていきたいものである。

 

それでは。