山田言

思いのままに綴ります。はい。

最近

文学的とは斯様な物だろうか…

それすらが私の心を蝕んでたまらない。一つの殺人者たるものを描き得たとき、私の心は何処かうつろになってしまっていた。

あらゆる創作活動の一切に心が移ることが無く、覇気、狂気、現実味…そういったもろもろの付与物が、私の手の隙間から零れ落ちて行く気さえした。

心の臓をばらばらに引き裂いて、もう一度つなぎ合わせて終えればどんなに楽だろうか。…

私は虚無感と悲壮感の真下で、うなだれる事しかできないありさまであった。

そういったことを解消するべく、時には読書にふけったりした。しかしながら心を揺り動かすには至らず、断念した。

散歩がよい、とあたりをふらふらと歩いたりした。しかし霧がかった脳では思考することも叶わず、こちらも断念した。

そこで私は季節のせいにする事にした。逃げである。なんの事はない、今は丁度そういう時期なのだ、時間が解決するさと…

忍びないので

私です。

はい、タイトルの通りであります。

 

何が忍びないか、というのは当然の疑問で、実際前々から言及していることではあるのだが、「オマエは本当に創作者か」と言われるほどにはこちらに絵をあげていない、その一つの事実に関してである。

 

だから私が描いた絵をちょっと載せます。

f:id:yamadaC:20170926231854j:plain

はい。

最も、勘違いされてほしくないことが一点。

「ナンダ、偉そうなこと言って芸術家気取りかよ」とか思ってほしくないのである。

 

確かにそう思われそうな絵であるし、実際そうなったことなどもありはするのだが、これを芸術作品として見るのは本当にどうかと思うのだ。

何故かって、これに含まれてる意味など何一つないからだ。

要するに、適当に書いただけなのだ。そんなものを芸術作品として見ようなど、数々の先人に対しての冒涜極まりない。

 

…ただ、これで本当に絵は描いているんだよ、と示せたので、私的には大満足です。

 

それでは。

体外的

私です。

最近牡蠣製脳味噌と言う言葉を使っているが、馬鹿の一つ覚えだと崖上から岩場を見る好き者どもに指さされて笑われるのも嫌だし、第一私の体の構造が訳の分からない物だと判明してしまうので、この脳はもうちょっと別のところに使うとする。

因みにだが、脳が牡蠣なら頭蓋は牡蠣殻。

 

さて、正直私の記事を見る方は何が目的なのだろうかと本気で思案するのもいいが、それは即ち、仮にも私を認めて下さっている方々を疑うと言う失礼極まりないことであるので、やらない。やらないのにあえて言う。

 

それで、このような記事と言うものは、記事と言う名を冠するわけだから何か意義のあることを書かなければならないし、そうあるべきだと思っている(もちろん他人を笑わせる等の意義も含めての話である)。

 

だが、再三言っている様にネタが無い。

じゃぁ書くな?もっともで御座います。じゃあ退散するほか手段はない。

それでは。

僵尸

私です。

タイトルの文字読めなかった方、コピーして検索かけてきなさい。

別に何ら支障はないが。

 

 

…はい、では検索をかけたか、或いは最初から知っていたとして話を進める。

お察しの方もいるかもしれない。私の好きな概念の話である。

ええ、この牡蠣製脳味噌は僵尸を心より愛しております。

チャイナ服が好みなんだろこの変態に茹だった牡蠣めが!とか言われても違うとしか言えません。

…まぁ、チャイナ服では好きではあるが、そも、あれチャイナ服か?

 

ア、いや、そんな話でなかった。

ともかく、どこら辺が好きなのかというとだ。

あの青白い肌、生気の欠片も感じ取れない表情、かっと開いた瞳孔、ずらりと並んだ鋭い歯、動き、(こう言っちゃなんだとは思うが)設定、札の貼られた絶妙な間抜けさ、服のチョイス…ここまで言ったらとうにばれた気がしないでもない。

 

お前まさかイワユル死体好きか?と言われそうなラインナップを並べ立てたが、いまいちゾンビは好きになれないので、そこには注意していただきたい。

 

僵尸と言うあり得ないような存在であるために、現実でその顔を拝むことが不可能とは知っているものの、やはり憧れと言うのは消えない。

そこまで言うなら描くか、若しくは書くかしろとまぁ言われるだろうが、そこは脳が牡蠣であるゆえに理想なモノが生み出せない一種の慢性的症状があらわれているとみて間違いない。

 

いろいろ並べ立てたが、ここで言いたいのは私が僵尸好きだと言う事実と、あと好きな物ほど書くの難しいよねって事だけ。

シンプル。なら最初からそう書けと言う声には私の蝸牛は文字通りカタツムリなので届かない。

それでは。

やぁ

私です。

タイトルからしてもう察せそうなものだが、取り敢えず。

ネタが無い。

 

うん、一切。一切ない。

私は(自称)絵描きで物書きな男であるから、ならば創作物を出せコノ牡蠣製脳味噌の似非インテリが!とか言われるかもしれないが、イヤ、私は創作者の端くれであるからこそこういう場では発表するべきでないと思っていたりするのだ…そんなウダウダ言うからいつまでたっても自称なのだろうが。

 

このように、幾ら牡蠣製脳味噌だと言っても拘りなんぞはあるが、それが自分の首を絞めあげては世話もない。

 

なりふり構わず突き進みたい所ではある…あるのだが…言い訳しか出てこないのだ。

勿論、これもいいわけである。

 

まぁそれはいいとして。何の話であったっけ?

…いや、最初から明確な話などしてなかった気がする。

じゃぁここらへんで。

それでは。

浅葱色の訪れ

私です。

夕焼け小焼けで日が暮れた、あちらとこちらが交わる時。

まぁ、そんな時空から書いているので。

さて、こう不思議な色合いだと何かノスタルジィを心に灯すもので、私としてもやはり例外でない。

決して格好つける気もないので言っておくと、家で猫背になりながらPCで顔を明るくしている真っ最中なのだが。

…話題はないが、ブログを続けて見たくはあるので、こうしてひそひそと妙なことを書いている訳で。

 

そういえば。最近、自信の大切さを思い知った。

一昨日の夕方ごろ。カイジを見ていたが、一つの事実に気付いた。

少しでも成功した奴は、自信がある。そしてずっと成功した奴は、自信があり、かつ慢心はしていない。

独裁的だろうと、なんだろうと。

利根川の例が分かりやすいだろうか。彼は自信があった。これまで勝ち続けてきたという、絶対的な自信。

だから勝ち得た。しかし…悲しいかな、最後の最後で慢心した。だから負けた。シンプルだ。そういうものだ。

 

自信のある奴は勝つ。相手に自信がないのなら、なおさら。これは実に簡単で、自信がない奴が実力を出せるはずが無い、と言った道理である。

そして、慢心は力を緩める。だから負けに足を踏み入れる。それだけ。

ね、簡単でしょう?…

 

だから、成功するか否かの話では、自信がある事が絶対条件なのだ。

才能がどうこう言う前にだ、実力を最大限発揮できる環境を己の中に持たねば。

 

まぁ、こんな簡単なことに気付けたので、これから多少は自信を持てるかもしれない。

それでは。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

 

それでは世界を