山田言

思いのままに綴ります。はい。

僵尸

私です。

タイトルの文字読めなかった方、コピーして検索かけてきなさい。

別に何ら支障はないが。

 

 

…はい、では検索をかけたか、或いは最初から知っていたとして話を進める。

お察しの方もいるかもしれない。私の好きな概念の話である。

ええ、この牡蠣製脳味噌は僵尸を心より愛しております。

チャイナ服が好みなんだろこの変態に茹だった牡蠣めが!とか言われても違うとしか言えません。

…まぁ、チャイナ服では好きではあるが、そも、あれチャイナ服か?

 

ア、いや、そんな話でなかった。

ともかく、どこら辺が好きなのかというとだ。

あの青白い肌、生気の欠片も感じ取れない表情、かっと開いた瞳孔、ずらりと並んだ鋭い歯、動き、(こう言っちゃなんだとは思うが)設定、札の貼られた絶妙な間抜けさ、服のチョイス…ここまで言ったらとうにばれた気がしないでもない。

 

お前まさかイワユル死体好きか?と言われそうなラインナップを並べ立てたが、いまいちゾンビは好きになれないので、そこには注意していただきたい。

 

僵尸と言うあり得ないような存在であるために、現実でその顔を拝むことが不可能とは知っているものの、やはり憧れと言うのは消えない。

そこまで言うなら描くか、若しくは書くかしろとまぁ言われるだろうが、そこは脳が牡蠣であるゆえに理想なモノが生み出せない一種の慢性的症状があらわれているとみて間違いない。

 

いろいろ並べ立てたが、ここで言いたいのは私が僵尸好きだと言う事実と、あと好きな物ほど書くの難しいよねって事だけ。

シンプル。なら最初からそう書けと言う声には私の蝸牛は文字通りカタツムリなので届かない。

それでは。

やぁ

私です。

タイトルからしてもう察せそうなものだが、取り敢えず。

ネタが無い。

 

うん、一切。一切ない。

私は(自称)絵描きで物書きな男であるから、ならば創作物を出せコノ牡蠣製脳味噌の似非インテリが!とか言われるかもしれないが、イヤ、私は創作者の端くれであるからこそこういう場では発表するべきでないと思っていたりするのだ…そんなウダウダ言うからいつまでたっても自称なのだろうが。

 

このように、幾ら牡蠣製脳味噌だと言っても拘りなんぞはあるが、それが自分の首を絞めあげては世話もない。

 

なりふり構わず突き進みたい所ではある…あるのだが…言い訳しか出てこないのだ。

勿論、これもいいわけである。

 

まぁそれはいいとして。何の話であったっけ?

…いや、最初から明確な話などしてなかった気がする。

じゃぁここらへんで。

それでは。

浅葱色の訪れ

私です。

夕焼け小焼けで日が暮れた、あちらとこちらが交わる時。

まぁ、そんな時空から書いているので。

さて、こう不思議な色合いだと何かノスタルジィを心に灯すもので、私としてもやはり例外でない。

決して格好つける気もないので言っておくと、家で猫背になりながらPCで顔を明るくしている真っ最中なのだが。

…話題はないが、ブログを続けて見たくはあるので、こうしてひそひそと妙なことを書いている訳で。

 

そういえば。最近、自信の大切さを思い知った。

一昨日の夕方ごろ。カイジを見ていたが、一つの事実に気付いた。

少しでも成功した奴は、自信がある。そしてずっと成功した奴は、自信があり、かつ慢心はしていない。

独裁的だろうと、なんだろうと。

利根川の例が分かりやすいだろうか。彼は自信があった。これまで勝ち続けてきたという、絶対的な自信。

だから勝ち得た。しかし…悲しいかな、最後の最後で慢心した。だから負けた。シンプルだ。そういうものだ。

 

自信のある奴は勝つ。相手に自信がないのなら、なおさら。これは実に簡単で、自信がない奴が実力を出せるはずが無い、と言った道理である。

そして、慢心は力を緩める。だから負けに足を踏み入れる。それだけ。

ね、簡単でしょう?…

 

だから、成功するか否かの話では、自信がある事が絶対条件なのだ。

才能がどうこう言う前にだ、実力を最大限発揮できる環境を己の中に持たねば。

 

まぁ、こんな簡単なことに気付けたので、これから多少は自信を持てるかもしれない。

それでは。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

一人分として丁度いい。

 

それでは世界を

嘘をつく花

私です。

今日は少しの気分転換。

日常に起伏が無いため、ちょっとした嘘でも書かなければ此処に表す内容はなくなる。

 

ちょっとした物書きを名乗ってはいるが、やはり私は才能がないためにすぐ挫折する。

持論だが、才能、というものはある特定の物事を「楽しめるかどうか」まで含まれているのでないだろうか。

 

それはさておいて。私は物書き、絵描き、作曲者…色々な存在になろうとしては諦めた。

いや、それは適当ではない。もっと正確に言えば、今まさに諦めようとしている真っ最中だ。

といっても、ネガティブな諦めではない。

人は結局何者にもなれない。自分である限り、そこには劣等感が付きまとう。

偉人や有名人との比較を、全くの無駄だと言っていながら行う。違う良さがあるとは微塵も気づきはしない。

 

それではダメだ。憧れの人になどなれるわけがない。もしかしたら君がジョン・フォン・ノイマンを超えるかもしれないが、決して同じにはなれない。

目標がヒトである限り、そしてまた、我々がヒトである限り、追い越すことは出来ても、同じになることはできない。

 

だったら、何者かになるなど無駄じゃないか。動き続ける目標を追ったところで、無駄じゃないか。

だから、私は諦めよう。自分であるために、自分のまま偉人になる為に。

人間にできることなど、もはやそれしかないと言うのを、我々は子供のころから教えられてきたじゃないか。

 

それでは。

dance

私です。

華の十代!などとうそぶかない感じの私です。

 

最近、バスルームから出でるアイデアの多いこと多いこと。

水面下でひっそりと進めている小説プロジェクトも、もとはと言えばバスルームのアイデアであった。

 

しかしながら、私の才能の無さは周知のとおり。ネガティブさに拍車をかけているのは、たった一つの事実なのである。

 

Twitterなど、多くのSNSの言葉で表すなら、フォロワー。

こちらの言葉で表すなら、読者。

ありていに言うなら、支持者。

その少なさに関しては、私は一頭地を抜く男である。

無論、これに関しては強要もできなければ、私以外の何者かを責めることもできない。

 

才能がない故アイデアを形にできず、アイデアを形にできないから表に出せず、表に出せないから支持者が増えない。

 

実に簡単にイコールでつなぐことの出来る式は、しばしば私に不都合な真実を突き付けてくる。

 

まぁ、しょうがないと言えばそれが全てだろう、出来ない私が悪いのだから。

 

さぁ、悲哀に満ちたダンスを踊ろう。それで世間の視線を拾えるのであれば、大満足だ。

それでは。

bathroom

私です。

風呂は落ち着く。

ついで、いやむしろこちらがメインだ、と言わんばかりにアイデアをくれる。

最近無駄に音楽のアイデアが湧く。私楽器一切弾けないが。

楽器一切弾けないので形にすらできない。

録音してDTMだか何だかでやりゃあいいとの絶叫が鳴り響きそうではあるが、生憎私には相対音感も絶対音感もない。

…困ったことに。私はある音が直前に鳴った音より高いか低いかを碌に判断できないという音楽下手ぶりである。

いや、音楽は好きだが。大好きだが。

 

全く難儀な体である。もう体のせいにしてしまえ。こら!

…まぁ、ここまでやったところで、それでは。