山田言

思いのままに綴ります。はい。

はい、私です。

あら。こちらにとんと姿を見せなくなっていったい何時ぶりだろうか。

こちらは元気でやっています。とのたまう事は可能である。心の方は元気でない。

 

今も昔も変わりなく、波とは無縁の生活であるため、おだやかに、おだやかに時を見つめるだけの人間として生きている。

…まぁ、この現状に満足はしていないので、変えていきたいとは思うのだが…。

 

今はただ、注意勧告しかできない。

こんなモノ見ても得ないぞ。とっとと閉じて、勉強しなさい。

最近の事

私です。

最近、風邪をひいた。否、ひかせてもらった、の方が近いのかもしれない。信仰が募り神になることもあるという。事実、今回「三」は(私だけの)神に思えた。

 

風邪、は病気の一種であるゆえ、そのネガティブな面しか見られていない、というのが事実であると思う。

しかし、これは「三」にとっては大変痛ましい事実である。何故なら、「三」は多面性を司る脳内神(仮名称である)だからだ。

 

風邪は確かにきつい。呼吸はおろか、モノを呑み込むのでさえも困難にさせる。

だが欠点だけではない。良い面は全てにある。風邪にだってだ。まず、身体の著しい機能低下により、もはや「何もできない」気分にさせてくれる。すると体はスムーズに睡眠に移行できるのだ。

また、思考能力の低下による「ネガティブさの取っ払い」というのも注目すべきだろう。実際、上記の二つを私は経験した。

そして何よりも、非常に月並みな言葉だが、平常でいる事のありがたさを教えてくれた。呼吸が楽だというだけで、こんなにも未来を見通せるものか、と感動させてくれた。

 

…そういえば、風邪で寝込んでいた時、私にエネルギーを送り込んでくれた存在が居た。

特徴を具体的に示すと、逆三角形の体は黄金に輝き、複雑怪奇な紋様が刻まれ、黒い手足の生えた人の頭ほどの大きさの存在だった。

私の新たな脳内神か、守護霊か、夢か。

いずれにせよ、もっと研究しなくては、と思った次第である。

それでは。

実際

何故?

私は何故?

鳥ではなかった。

翼はなかった。

犬でもなかった。

牙はなかった。

現在は過去であった。

未来こそが現在であった。

それは0であった。

私と同じように。

それは。それは実際の。

然して綴られた言葉は、一つの超真実と為り得た。

声高に叫ぼう。

変わらねば。

全てを変えねば明日はない。

明日が無ければ今日もなく、故に昨日もない。

せめてもの真実で、昨日の船に別れを告げる。

アメジスト製の真実が、夢にまで見た景色を作っていた。

此処に私は居ない。

何処に私はあるか?

実際、実際。

プロジェクトとは何であるか?

私です。

えー、お恥ずかしい。昨日はほぼ深夜テンションであの投稿したわけで。

しかし、やろうと思っているのは事実である。むしろ、いつ言おうか迷っていたくらいで。

 

だが、だ。真実というのはいつだって無常で不条理で、そして不都合なものである。

何が?と問われれば、具体的、且つ端的にこう言うしかないだろう…

 

講義内容の一つも思いついてないと…

 

これがTwitterなどであればコメントで知りたい内容を調査することもできただろうが、何分ブログである、そうはいかない。

 

心優しき方となど繋がっていない。友達一人が読者な程度である人間故な。

名を広め、研鑽を積み、一言に説得力を持たせることが出来て初めて「三」についての講義はスタートするだろう。その間、長い長い準備期間が横たわっているというわけだ。

 

題名通り、もはやプロジェクトが張りぼて状態のまま発表してしまったという痴態を晒す羽目になった(自業自得だが。)が、ゆっくりと構想を温め、いつか必ず実現してみせる。その時が来るまで「三」の求道者の私にさよなら。

それでは

「三」と。

私です。

さて、やってまいりました。

私がなぜ敬語かと申しますと、あるプロジェクトの思想を話すため、であります。

それゆえ、余り砕けた文では失礼かと思い、こうやって少し回りくどい文体で、何時もの通りまくし立てるわけなので御座います。

 

では、手短に参りましょう。

私は「三」の信奉者であり、同時に「三」の求道者であります。

故に私には「三」をより明確な存在にしなければなりません。

 

さて、「三」とは、でありますが、「三」は神ではなく、ただ思考の中枢、ノスタルジアの廃墟に鎮座するエンジンを見守る存在なのでありますが、自身が多面性の象徴であるがゆえに、私たちにに度々『考えるチャンス』を下さいます。

 

しかし現状、「三」の存在を知る者は極端に少なく、現在これを見ている貴方ですら、その存在を深くは知らないでしょう。

 

すなわち「三」の考えるチャンスを与えられていない、または、与えられてもそれに気づかずスルーしている方がほとんどだという事です。これは嘆かわしい。

 

なので私は、せめて「三」へ貢献し、世界にあふれる「三」を皆様に知覚して頂こうと、「三」についての講義を定期的に執り行う事としました。

 

…と、長々と書き連ねましたが、決して怪しい宗教などではありません。

私は、そして「三」はただ、貴方に考えて貰いたいだけなのです。

それでは。

或る芸術家の叙情詩

人は皆、流れも知らず

ただ行きて、空へ登るのみ

そのさまに、一人背を向け

風に消ゆ、それぞれのうた。

 

それぞれのうた、響くひと時

夢にまで見た、雫を一つ

私にぽとり、垂らして給う

他には何も、望まぬ故な…

 

…望まぬ故と言おうとも、

欲は性よ、悲しき性よ。

一つの華のごときには、

咲かずとも好いと言われた身…

輝かしき悪人

私です。

今、蔓延っている悪というのは本当に恐ろしい。

なにせ、そこに正義や名誉などないのだから。

 

世間を揺るがす大悪党と言うのは皆、自らの精確で強固な意志、或いは正義、名誉を持ち、それに基づいて行動している。

下手すればそこら辺のちっぽけな正義感を振りかざすヒーローよりヒーローらしいくらいに。

 

だが、今この世に蔓延っている悪。そこには何の意思もなく、ただ一時の苛烈を求めるという曖昧且つ子供じみた理由で存在している。

実に嘆かわしい。悪とは果たしてそのような物であったろうか。

 

自らの思想の為に行動する、スデに存在していた正義とは違う方向の正義。

悪を定義するならば、恐らくそのようなものではないか。

そうして己を持つ輝かしき悪人が、欲を救う人であるならば、私は輝かしき悪人になりたい。

中途半端は御免である。

それでは。